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2007年2月

2007年2月10日 (土)

第11幕 星に願いを When You Wish Upon A Star!

「35+3は?」

「32」

 同時に返事をする。しかもハモってる。

姉の真紀が原キーで、妹の理絵が3度上、さすがに一卵生双生児だ。

 最初は「35歳でこの店をはじめて、もうすぐ3周年。すると年齢は……」という私の質問で、次の返事は「私たち、これからは32歳でいきます」という彼女たちの宣言である。なんのてらいもない。

 双子もいよいよ年齢を詐称しなければならないときが来たようだ。ま、いいか。嘘も方便。騙し騙され、冗談と本気の境目のトークを楽しむのが水商売ともいえる。ごまかすといったって、たかが38-32=6。たった6歳……誤差といって……6つもいかんだろ! 誤差にしてはでかいだろ! ちょっとサバ読みすぎだろ! いい加減にしろ!。そう怒りながら彼女たちの顔を見たら、以前はなかった小ジワが見えた。3年という月日はそのくらいの時間だ。決して短くはない。腹が立つより、なんだか「がんばったな」とほめてやりたくなった。

 今夜は池袋東口にある双子の姉妹が経営する「ツインズ」で飲んでいる。私はスナックだと思っているが、彼女たちは“クラブ”であると主張して頑として譲らない。

 そこへ息せき切って入ってきたのが常連の山ちゃんだ。顔を真っ赤にして、

「中池袋公園の上をUFOが飛んでる! 円盤型のヤツ」

「ウッソー」

「直線に飛ぶんではなく、こうこうこうギザギザギザッて飛んで、空中でピタッと停止する。あれはどう見てもUFOだな」

 山ちゃんの身振り手振りを交えての説明を最後まで聞かずに、ホステスの優美子と夏織は店の外へ飛びだしていった。すると山ちゃんは、今までゼェゼェいってた息を正常に戻し、何もなかったように椅子に座った。理絵も何もなかったように冷えたビールを出した。

「勝利の美酒はうまい!」

 そういうと双子にピースサインを出した。

 次に入ってきたのは、佐藤さん。ちょっと興奮気味に双子に早口でまくし立てる。

「宝クジ、当たっちゃったよ! 東京都の宝クジをバラで買ったから、前後賞もなしでたった1千万だけど」

「私たちにいくらくれるの?」

「そりゃ約束通り1割の100万、明日現金でもってくるから大きめのバッグもってこいよ。小切手のほうがいいか。それとも80円切手のほうがいいか」

「100万円ももらうの悪いから、ワイン飲ませてくれればいいわ。白ワイン1本、いいわよね、佐藤さん?」

 佐藤さんは、すごく不満そうな顔をしたけれど、イヤというわけにはいかない。佐藤さんは、下手をうったわけだ。

 つづいて富樫さんが入店。もうすぐ定年だといってたから、60歳前後かな。なんだか元気がないように見える。真紀が作った水割りをほんの少しだけ口に入れる。

「今日ガンの告知受けた。あと半年の命だから、好きなことをしてくれってさ」

 やっぱり。お酒の飲み方といい、顔色の悪さといい、そうなんだと私が納得しかかったとき、理絵が甘えた口調でたしなめた。

「富樫さん、だめですよ。いくら今日がそういう日でも、悪い冗談はなしにしましょうよ。もし、それが本当になったら、私、絶対、いやですから」

 富樫さんは、二まわりは歳下の理絵の文句を、お母さんに叱られた子供のように聞き、下を向き小さくうなづいた。

 そこへ優美子と夏織がキャハハハと笑いながら帰ってきた。店内がパッと明るくなる。若いということはそれだけで財産だ。

「UFO、見えませんでしたよ」

「そのかわり公園の向こうのマンションでヤクザが刺されたらしくて、パトカーや救急車がいっぱい来て、それのやじ馬やってきました」

「公園で花見してた人がみんなやじ馬になって、やじ馬の数がハンパじゃなくて、ごった返してて、背伸びしてみたら救急車に運ばれた男の人、血まみれでした」

「なんか体のでかいヤクザが犯人らしいですよ。まだこのあたりにいるはずだって」

「四月は人を狂わせる」というイギリスの詩を思い出した。桜は週末には満開になるだろうと予想されている。桜を散らす冷たい雨が降らなければいいが……。

 ニコニコしながら店に入ってきたのは遠藤君だ。30代前半のサラリーマンで、この店の客では若い部類に入る。

「昨日、六本木で、松浦あややと」

「会ったんですか?」

 すかさず夏織が聞くと、遠藤君はうれしそうに、

「エッチした!」

 みんな白けた。まず、山ちゃん、佐藤さん、富樫さんは「あやや」を知らない。彼らにとってみれば「あやや」も「オヨヨ」も同じことだ。さらに遠藤君はなかなかの好青年だが、女ににもてるタイプではない。当然ながら女性陣は誰も信じていない。そして致命的なのは遠藤君は基本的に空気が読めない。調子に乗って、遠藤君がしゃべる。

「あややとやった。やったーやったーヤッターマン」

 ここで真紀と理絵の判定が下る。

「エンちゃん、退場!」

 またハモった。今度は原キーが理絵で、3度下が真紀だ。退場の判定が下ると、料金は倍になることになっている。

「ウチは給料日10日なのに」

「ツケでいいわよ」

 真紀と理絵が、ユニゾンで答えた。

 その客の来店は、ドアが開く前にわかった。ドスッドスッという足音が聞こえたからだ。ぬーっと現れた瞬間、全員に戦慄が走る。

「フランケンシュタイン!」

 優美子が思わず口走った。上手いことをいう。

 まず体がでかい。身長は190センチ、体重はゆうに100キロを超えているだろう。赤ら顔で、表現できないほど怖い。眉毛がない。歳は40前後というところか。髪の毛は短く刈り込んでいる。額が広いのは剃り込みを入れているのだろうか。

「若松さん、いらっしゃいませ」

 真紀があいさつをすると、彼は右手をあげて「久しぶり」といった。彼は誰にいうでもなくつぶやいた。

「人殺してきた……」

 優美子と夏織は狭いカウンターのなかで体を寄せ合った。優美子は震えているし、鳥肌が立っている。彼女は健康的な太い腕をしているから鳥肌が目立つ。

「きっとあの人がヤクザを刺したのよ」

「まちがいないわ」

「警察に電話する?」

「したほうがいいかも」

「でも、気づかれたら何するかわかんないよ、あの人」

「そそそそんな、誰かが刺されたらどうしよう。血が、この店で……」

「私は平気だけど」

 昼間看護学校に通っていて、おまけに格闘技ファンの夏織は以前「血を見ると燃えるの、アタシ」といっていたことがある。私も「浣腸と注射の練習台になってください」と頼まれたことがあるがきっぱり断った。

 真紀と理絵は、意外に平気な顔をしている。

 真紀が、若松という客の前にチェイサーとショットグラスをおく。そしてマッカランの24年を注ぎながら、

「また、殺っちゃいましたか。返り血浴びました?」

 と思い切った質問をした。

「返り血だけじゃない。傷負った。かなり傷は深い」

 彼は一気にマッカランを流し込んだ。一挙手一投足を観察している若い2人がまたヒソヒソ話をはじめる。

「フランケン、コート脱がないでしょ。ナイフ隠し持ってるのよ」

「きっとコートの下は血みどろよ」

「見てみた~い」

 夏織の目がキラキラしてきた。私が小声で優美子と夏織に声をかける。

「今日は4月1日」」

「……」

「エイプリルフールだろ」

「あっ、そうか」

「じゃあ、山田さんのUFOも嘘ですか?」

「本気で信じてたんだ。お前たちがだまされたから、山ちゃんはただのビールをうまそうに飲んでたよ」

「ひっど~い。信じられな~い」

「あんな嘘に引っかかるほうが信じられないよ」

「フランケンが人を殺したってのも、嘘ですか?」

「嘘だろ。あまり上等の嘘とはいえないけど」

「血も見られないんだ……」

 明らかに夏織は落胆している。あまり酒が進んでいない富樫さんは、納得がいかないという顔で会話に入ってくる。

「ああいう嘘は退場ものだよね。オレは理絵に叱られたんだぜ。あんな嘘が許されるなら、あんなのが許されるなら、オレのは……」

「何、ひとりで怒ってるんですか?」

 富樫さんが理絵に叱られてるところを見てない優美子がいぶかしがる。 

 しかし今どき、エイプリルフールでこれだけ盛り上がる店も少ない。かつてフランスは3月がお正月だったらしい。16世紀に1月1日を新年にする暦が採用され、それに反発した市民が、4月1日を「嘘の新年」とし、バカ騒ぎするようになったのがエイプリルフールのはじまりだという。

 今夜のツインズは、うまい嘘をついたらビールをサービス、双子に「退場!」といわれると料金倍付け、佐藤さんのように流れでワインをごちそうさせられるような嘘も、本人の出費は別にして、雰囲気を盛り上げたから「いい嘘」といえるかもしれない。

 小学生の頃はたわいのない嘘で同級生をだましては喜んだものだ。「3時間目は理科室に集合って先生がいってた」ってクラスの大半をだまして、先生にこっぴどく怒られ、廊下に正座させられた。仲の良かったヒロシが「かあちゃん、今日死んじゃったんだ」って嘘ついたら、「世の中にはいっていい嘘といけない嘘がある」って先生すごく怒った。ビンタ3発、食らってたなあ。

 私は若松という客に興味津々で、先ほどからじっと観察している。ショットが空くたびに時間をおかず真紀がマッカランを注ぐ。あの体つきの割には繊細な指をしている。指も5本そろっているようだ。

 ケータイの着信音が店内に響いた。ディズニーの曲だ。どうせ優美子か夏織だろって思ったら、なんとフランケンが背広の上着を押さえながら店外へ出ていった。全員が意外な展開に安堵の笑みを漏らした。なんて曲だったかなあ。思い出せない。

「若松さんならではの着信音ね」

 真紀が真顔でいう。フランケンが戻ってきたとき、私は彼を「イジリ」たくなってしまったのだ。

「若松さんっておっしゃいましたっけ」

「ハイ」

「いったい誰を殺してきたのですか?」

 店内の空気が緊張した。みんなの視線が私につき刺さる。

「そこのマンションでヤクザ殺りましたか?」

 全員の視線が若松さんに移る。みんなが聞きたいこと聞いてあげたからね。あとは知らないよ。

「今回は、今年、中学に入学する少女です」

 若松さんはロレツが回らなくなっている。私はすかさず、

「なんでそんな嘘をつくんですか? エイプリルフールだからですか? あまり趣味がいいとはいえないな」

 自分のほうがかなり年配だと思ったので強気に出てみた。キレるか? 若松さんはウイスキーをグイと飲み干し、チェイサーを半分ほど流し込んだ。私はいちおう緊急事態に備えて、逃げる準備をした。

「その前は幼稚園児です。ボクはふだん嘘ばかりついているから、今日は本当のことをいってます。ほんと、殺しちゃいました」

 若松さんの隣に座っている山ちゃんは怖がって椅子から転げ落ちるし、優美子と夏織はひどくおびえている。

「彼女、明日香ってういうんだけど、去年の暮れ、危ない状態でした。強い薬の副作用が出て、治療も苦しくて、『先生、どうせ私、死んじゃうんでしょ。死ぬんだったらこんな苦しい思いしたくない』って泣いたんです」

 ここで真紀が私たちに説明してくれる。

「若松さん、小児科のお医者さんなんですよ」

 理絵が小さな声で私に教えてくれる。

「難病の名医らしいですよ」

「桜が咲いたら、明日香は中学生だろう。桜が咲くまで頑張ろう。桜が咲いたらきっとよくなる。先生が絶対治すから……ボク、いたいけな子供をだましました」

「若松さん、それは嘘とはいいませんよ」

 理絵がフォローするが、若松さんは首を横に振った。

「嘘じゃなくて、それは若松さんの“願い”じゃないですか」

「今週の月曜日です。明日香は私にこういいました。

『先生、桜、見れたよ。桜ってこんなにきれいだったんだね。でも桜ってすぐ散っちゃうから、私、好きじゃない』

 明日香はサクランボ嫌いか? 花が散ってサクランボができる。そして今年で終わりじゃなくて、来年、また咲く。まだ今年は無理だから、来年は花見行こうっていいました。そしたら『あと5回桜を見たら、私、先生のお嫁さんになってあげる。先生、顔怖いし、不細工だから、女、いないでしょ。近ごろの女は男見る目ないし……』って」

 重い沈黙が店を支配する。私は後悔していた。いつものノリで客をイジルなんてことをしなければよかった。

「明日香、今朝、病状が急変して死にました。助けられなかった。ということは、殺したということです。ボクの力なんてこんなものです」

 私は一言も発することができない状況だった。若松さんは、30秒ほど沈黙したあと、

「ボクは人を殺すために医者になったわけじゃない!」

 ふり絞るような叫びだった。

「先生が担当でなかったら、ほかのお医者さんなら、明日香ちゃんは助かったんですか?」

 真紀が聞く。

「ボクは名医じゃなくちゃいけないんだ。生きたい、そう思っている子はみんな、世界中の医者が治せなくても、ボクが治さなくっちゃいけないんだ。名誉も金もいらない。ただ名医になりたいんです」

 若松さんは真紀が出した冷たいおしぼりを顔に当てる。

「すみません。つまんない話で酒まずくしちゃいました」

 若松さんは私も含めた客に頭を下げ、ショットをあおると、真紀に勘定を投げるように渡し赤い顔をさらに赤くし、さっさっと店を出ていった。

 飲み屋で熱い話するんじゃないよ! 一生懸命生きてるヤツ見るとイライラする。酒ってのは楽しく飲むものなんだよ。

 フランケンと入れ違いに入ってきた常連・近藤さんが、真紀に尋ねる。

「おまえ、また男泣かしただろ?」

「人聞きの悪いこと、いわないでよ」

「今出ていった客、泣いてたぜ。よくあんな化け物みたいなの泣かすよな。真紀の気の強さは半端じゃないからな」

「やめてよ。それでなくても婚期遅れてるんだから。私じゃないわよ」

 ここでボソッと佐藤さんがつぶやく。

「遅れてるならまだいい。来ない電車を待っているほど無駄なことはない」

 あっ、真紀と理絵の顔色が変わった。それを無視して近藤さんが続ける。

「じゃあ、理絵だ。金なんかいらねえから、とっととけえれ! とかまたブチ切れたんじゃないか」

「とっととけぇれ! といったことはあっても、金なんかいらねえからといったことは一度もございません。とっととけぇれ! っていうのはチェックが終わってからいうようにしています。泣かしたのはこの人!」

 理絵が私のことを指さしているのは、髪の毛が薄くなった頭皮で感じた。それでも頭を上げることができなかったのは、すごく後ろめたいのと、たまらなく恥ずかしいのと、なんだかわからないけれど感動したのと……。

「何だ、島さんかい、あんなすごいヤツを泣かしたのは。あれー? 島さんも泣いてるじゃん。いい年こいたおっさんが何泣いてるんだか。『お前のかあちゃん、デベソ』『お前のおやじははげ頭』とかいい合ってたんか。ほんと、この店の客はガキなんだから……」

 近藤さんに、涙を看過されて、ひどく動揺した。その動揺に気づいたのか、近藤さんは話題を変えてくれる。

「あっ、忘れてた。こんどオレ、ポマードレコードから歌手デビューが決まった。今日レコーディングしてきた。明日はジャケット写真を撮る。遅れてきた演歌の星、せつせつと池袋の夜を歌うってキャッチフレーズで発売されるからみんなCD買うように。島さんは、当然買ってくれるよな」

 全員で大笑いした。彼はこの店の客で一番音痴だとみんなは知っている。最近でこそ慣れてきたけど、はじめて彼の歌を聞かされたときは、真剣に殺意を覚えた。包丁を持っていたらまちがいなく刺してただろう。そのくらい下手なのだ。この店でも、他の客がいるときは近藤さんには歌わせない。客がいないときは歌っていいのだが、店の人間はみんな彼が歌いはじめる前に耳栓をする。

 嘘もここまで嘘だとわかれば爽やかである。私もつられて笑った。そのどさくさにまぎれて涙を拭った。理絵は、あまりにもばかばかしいので、サービスのビールを抜いた。

 地下鉄や私鉄の終電の時間が近づいて、山ちゃんと遠藤さんと佐藤さんが帰っていった。最後に入ってきたのは玉田さん。今夜は一人客ばかりだ。こんな夜もある。桜もまだ7分咲き、明日からは花見返りの団体客でにぎわうことだろう。玉田さんが、

「すごいもの、見ちゃったよ!」

 真紀も理絵も、私も、富樫さんも、若い子たちも今夜は嘘はうんざりだ。

「UFOは飛んでませんよ」

 夏織がそういうと、玉田さんが、

「そんな現実離れしてないよ、化け物みたいな顔をした大男が空に向かって叫んでいた。そりゃ、地響きがするようなすごい声だった。叫ぶというより吠えるだな。人間というより獣といったほうがいい」

「きっとフランケンだ」

 優美子がいうと、真紀と理絵が目を合わせ、私と富樫さんの顔を見てため息をつく。

「患者さんに気持ちが入りすぎちゃうんだよね。いつもそうなのよ。患者さんが亡くなると落ち込み方が半端じゃない。ふだん飲まない、というより飲めない酒を浴びるように飲んで、助けられなかった悔しさを神様に訴えるように、池袋のどこかで叫んでる」

「亡くなった子供たちは星になるって信じてるのよ、彼。だから夜空に向かって謝ってるのね」

「前回は池袋大橋で、その前はビックリガードだったわ」

「彼の患者さんって小さな子供ばかり、しかも治すのが難しい病気ばかり。でもまだまだ彼に負けてもらっちゃ困るのよ。がんばれ! ってこっちもエールを送りたくなっちゃう」

 無口な富樫さんが口をはさむ。

「そのエールが、マッカランの24年なんだ」

「見ててくれたんだ」

「この店でははじめて見るもんな、あんないい酒」

「そう、慰められないけど、せめていい酒で悪酔いしないでという私たちの気持ち」

「あの堅物には、お前さんたちの気持ち、伝わってないかもよ」

「いいのよ。明日また子供たちと一緒に戦ってくれれば」

「さすが、38歳だよ」

 富樫さんがそういうと、双子はハモリながら「32よ~」と答えた。いつのまにかメロディまでついている。私が「この店の客であることを誇りに思うよ」といおうとしてやめた。そんなことをいおうものなら「じゃあ、ワインをごちそうしてよ」といわれるのがオチだ。

「今日も関西で何人も若者が集団自殺していた。命を無駄にするのなら、誰かにあげられればいいのにな。不平等すぎるよ」

 富樫さんにしては強い口調だ。彼は素早く勘定を済まし、「ヨッコラショ」と腰をあげ、ちょっとふらついた。

「大丈夫ですか?」

 私は思わず手を差し伸べた。隣で見ていて、そんなに酒は飲んでないように見えた。

「ああいう医者がいるから、おれも頑張ってみようと思う。明日からちょっと入院してくるわ。もし病院から出てこれたらまた遊んでくれや」

 そういうと未練を断ち切るようにして店を出ていった。

「エーッ ホントだったんだ」

 そういうと理絵はあわてて店を飛び出し、富樫さんの後を追った。

 私も勘定を済ませ店を出る。いつもは店の前でタクシーを拾うけど、今夜は歩いて帰ろう、そう決めた。どうせ30分も歩けば着く距離だ。

 公園の街灯でライトアップされた桜をしみじみとながめた。来週の今日にはおそらく散っているであろうその花びらは、毅然としていて高貴な香りを漂わせている。

 潔く散ろうが、枯れて恋々と枝にしがみついていようとも、とやかくいう資格は私にはないし、どちらでもいい。

 ただ春の嵐や風に散らされるのではなく、思い切り咲き誇り、花の命を全うしてくれればと柄にもないことを願う。

 無意識のうちに口笛を吹いていた。なんだっけ、この曲は? そうだ若松さんの着メロだ。曲のタイトルを思い出した。

 夜空を見上げる。東京でも、運がよければ10個くらい星が見える夜があるが、老眼がすすんでいるせいか、星は3つしか見つからなかった。

 あたりを見渡す。こんなところ、恥ずかしいから誰にも見られたくない。年甲斐もないことをしようとしている自分を、もう一人の冷静な自分があざ笑う。

「いい年こいたオヤジが何、感傷的になってるんだか」

 苦笑いをしながら、夜空を仰いで、いちばん輝いている星を見つける。

 富樫さんの病気、何とかしてもらえませんか。もう一度だけ、一緒に酒を飲ませてくれませんか。

 若松さん、がんばってます。がんばっただけのごほうびをあげてください。ごほうびは彼の力が及ばないときの奇跡かな。

 そしてその隣の小さな星に語りかける。

 明日香ちゃん、天国で小さくていいから散らない花を咲かせてください。

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