第五幕 ハードボイルドな夜
ツインズ、ナンバー1(?)ホステスの幸子です。
昨夜・月曜日は暇だったけど、今夜はボックスが2組、カウンターに3人とまずまずの入り。
今、カウンターにいます。カウンターの仕事って結構大変です。カウンターのお客さんに対応しながら、ボックスに目配りします。氷や水はあるだろうか。トイレに行ったお客さんがいれば、おしぼりをボックスについている女の子に渡します。ボックスでは見えないお客さんの気持ちもチェック。カウンターに私1人で客が5人いたら、もうパニックです。
ちょっと気になることがあるんです。先週も今週も、三田さんが来てない。三田さんは毎週火曜日、はかったように午後10時に店に入ってくるお客さん。先週も今週も、その三田さんが来ていません。
三田さんは、空いている限りカウンター右隅に座ります。そして左斜めを向き、右手で頬杖をつきながら、I.W.ハーパーのロックをチビリチビリ、たまにチェイサーを口にふくみ、またお酒をチビリチビリ。
ちょっと変わった人です。三田さんはほとんどしゃべりません。むだ口や冗談を聞いたことがない。たとえば私が、
「お仕事、いかがですか」
と尋ねると、
「まあまあ」
これだけ。その先、会話が続くことはありません。
「今日の3時頃、地震ありましたよね」
「うん」
これで終わりです。
ツインズへ1人でみえるお客さんは、私たちホステスと会話したり、一緒に歌を歌ったりして、雰囲気を楽しむのが好きな人ばかりで、ただお酒だけを飲みに来る方はいません。お酒を飲みたいだけなら、ショットバーに行ったほうが、たくさんお酒がそろっているし、料金的にも安いですし、なんで三田さんはこの店にくるんだろうととても不思議です。私みたいな小娘の相手をしたくない、ということでもなさそうで、真紀さんや理絵さんが相手しても、態度が変わることはありません。
「幸子、火曜日の男、来てないね」
もう1人の火曜日の常連・杉浦さんです。
「そうなんですよ。三田さんっておっしゃるんですけど……」
杉浦さんは池袋で喫茶店の経営をしていて、定休日の火曜日に飲みにいらっしゃいます。年は45歳だったかな。三田さんのことは何もわかりません。推定年齢55歳。
「彼、ハードボイルドだよね」
「そうそう、冬はトレンチコートですし、小脇に持ってる本、翻訳物の探偵小説や、北方謙三、大沢在昌ですものね」
「なんか、かっこいいよね」
よくしゃべり、よく笑い、カラオケ大好きな杉浦さんとは対照的かもしれない。
「寡黙、ダンディズム、ストイック、孤独、男のロマン……って感じ?」
「杉浦さんもハードボイルドに興味あるんですか」
「今どきのオニイちゃんは知らないけど、オレらの世代はみんな、あこがれた。女に媚を売らず、いいわけはしないし、自分の生き様に自信があって」
「たしかに、杉浦さんには無理かも」
「バカにしてる?」
「そんなことないですよ。私は、彼氏にするならハードボイルドより杉浦さんのほうが楽しくていいな」
「軍隊で新入りに鬼のように厳しい教官がいてさ、彼のカラーが白くて固いところから、彼を固いゆで卵、ハードボイルドエッグってみんな呼んだのがはじまりっていわれてる。だから、本来、厳格、非情で、冷淡って意味なんだよ」
「三田さん、すっごく冷たそうだもん。杉浦さんは、あったかそうですよね」
営業が入っているけど、かなり本気。三田さんみたいな人が彼だったら、あまり話してくれないから何考えてるか分からないし、「オレの生き方は……」って後ろ姿で語られても困ります。
その後、『カサブランカ』のハンフリー・ボガード、松田優作、大藪春彦の小説の話で盛り上がり、杉浦さんのハードボイルド論を聞いているうちに三田さんのことは忘れました。
お客さんは、基本的にわがままなものです。気が向いたときにしか来ないし、他に気に入った店があればそちらに行く。
今夜、すごく盛り上がって、楽しそうに飲んでいってくださり、きっと近いうちにお会いできると思っていたのに、二度と来てくれないお客さんはそれこそ何百人といます。三田さんはツインズに合わなかったんだと思います。だから三田さんがもう来なくても、感傷的になることはありません。そういう仕事なんです、私たちの仕事って。
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その夜は、客の引けが早く1時に店を出ることができました。昨日まで降り続いていた梅雨の冷たい雨も一休みで、池袋に住んでる私は久しぶりの自転車通勤です。
池袋の街だって、季節の花は咲きますから、それを眺めながら少しの時間、真夜中のサイクリング。今はもちろんあじさいの花です。あじさいの花の色は、リトマス試験紙と反対で、土が酸性だと青っぽくなり、アルカリ性だと赤色が強くなるって知ってました? 私は薄水色のあじさいがさわやかで好きなのですが、あじさいの花言葉が、「移り気、高慢、冷酷、冷たい」って意外ですよね。ちょっと三田さんのことを連想しました。
アパートに帰り、自転車置き場に自転車を置く。これから何をしようかな。まずメールをチェックして、録画してた映画でも見るかな。1日でもっともホッとする瞬間です。
買い物かごに入っているバッグを取ると、買い物かごの下に封筒が入ってます。繁華街に自転車を1時間も止めておくと、買い物かごがゴミ箱状態になることはよくあり、空き缶、ティッシュ、チラシ、噛んだあとのガムなんかが入っているのですが、その封筒はそれらとは明らかに違っていました。
ずっと降り続いた雨で濡れていましたが、自分は断固ゴミではないと主張していたのです。格調高い和紙でできた封筒で、ちゃんと封緘されていました。
部屋へ持ち帰り、しばらく封筒を眺めていましたが、好奇心には勝てず、封を切ってしまったのです。中の手紙は封筒ほど濡れておらず、緑のボールペンで書かれた字もちゃん読めました。それは男性から女性に宛てた手紙でした。緑のインクは確かお別れを意味するって歌がありました。
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貴女をはじめて見たのは、Rというショットバーだった。あなたが入ってきたとき、、きれいな<RUBY CHAR="女","ひと">だなと思ったのを覚えている。
貴女は入口に近いカウンターで、アルコール度の高いカクテルをジュースのように飲み干した。
「店に出るの、やだなあ、あー、やだ」
マスターに語りかけると、マスターは黙って水色をした酒をショットグラスに入れて出した。タランチュラ(毒グモ)というテキーラだった。貴女は一緒に出されたレモンをかじると、タランチュラを一気に流し込み、
「ヨシ!」
と自分に気合いを入れて、勘定を済ませた。ドアのところで、もういちど「よし!」というと覚悟を決めるように出ていった。私は、人気相撲取り・高見盛が制限時間いっぱいで気合いをいれる姿を連想した。
マスターは、貴女が近くで店をやってるママさんであると教えてくれ、
「水商売もいろいろあって大変なんですよ」
と付け加えた。
貴女を2度目に見たのは、深夜のファミリーレストラン。午前3時頃だった。貴女は一心不乱にピザとスープを平らげ、たばこを一服すると、テーブルに頭から倒れるように眠ってしまった。それはまさに「落ちる」という感じだった。私の席から貴女の寝顔が見えたのだが、とても無邪気な顔をしていた。眠りはじめて10分ぐらいたったとき、
「お電話ありがとうございます。ツインズです」
とはっきりした寝言をいった。きっと店で電話に出ている夢を見ていたのだろう。
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ここまで読んで、この手紙は真紀さんか理絵さんに宛てたものであることがわかりました。ではいったい差出人は誰なのか? 数人のお客さんの顔が浮かびます。メール全盛のこの時代に、手紙を書くなんて若い人ではないでしょう。いつも家に帰ってきて最初にする習慣、たばこを吸うのを忘れていたことに気づき、マルボロに火をつけます。
手紙を出した人を知りたければ、手紙の最後を見ればいいのですが、それを我慢してつづきを読むことにしました。
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貴女に興味を持った私は、次の夜、ツインズへ行った。そこで見た赤いドレス姿の貴女は、太陽のように輝いていた。客の話を楽しそうに聞き、よく笑っている。どんな濃い客にも、酔っぱらってる客にも微笑んでいた。
「ヨシ!」の貴女と、「落ちる」貴女がフラッシュバックする。そして溌剌としている目の前の貴女とのギャップ。
とても切なかった。とても哀しかった。
それからは毎週、貴女の店に行くようになった。2回目は、貴女という人間を観察に行くんだと自分に言い聞かせていた。3回目は貴女の顔を見たい気持ちを押さえきれなかった。4回目は貴女の顔を見ていれば幸せだった。そして貴女のことをもっと知りたくなった。
なんか変なのだ。仕事をしていて、ふと貴女の顔を思い出す。無性に会いたくなる。そして胸が締めつけられるように痛くなる。
中学3年のとき、女の子とはじめてデートした。うれしくてうれしくて、手をつないだだけで興奮した。あの時の甘酸っぱい気持ちと同じだった。
ああ、これは恋なんだと気づいて、自虐的に笑った。どうしても自分が恋に落ちたと認めたくなかった。55歳の、酸いも甘いも噛み分けられる分別のある大人が、恋するなんてどう考えても普通じゃない。
なぜ? 理由を聞かれても答えられない。好きになってしまったんだから仕方がない。困惑した。あせった。自分の気持ちを自分でコントロールできなくて。<RUBY CHAR="狼狽","ろうばい">した。自分の手も足も、私が命じた通り動くのに、心だけは思った通りに動いてくれない。それは10代の頃と同じだった。
人を好きになるのは理屈じゃない。理屈じゃないから恋なんだ。なんでも理屈をつけたがる大人にいつのまにか私もなっていた。
勘定を済ませ、帰るときに、貴女はエレベーターまで送ってくれる。何度も貴女の手を握ろうと思いながら、一度も手を握ることができなかった。
私には3つ年下の妻がいる。若い頃から貧乏で苦労をかけっぱなしで、それでも私を信じてついてきてくれた。仕事仕事で家庭を顧みなかったのに、不平不満を言わずに2人の子供をちゃんと育ててくれた妻がいる。
それでも、貴女を好きになってしまった。私は何度も自分に言い聞かせた。
「遠くから見てるだけだから、浮気じゃない。妻への裏切りでもない」
でも神様は私を許してくれなかった。バチが当たった。先日、妻がガンだと宣告されたのだ。しかもあと半年の命だと。
「違うだろ。ガンになるのは私だろ。バチが当たるのは私だろ! あんたのやることはいつもちぐはぐなんだよ」
元々、神なんて信じてない私は、神を恨んだ。神を罵倒した。
妻のために今、何をしてやれるのかを真剣に考えた。心底、何かをしてあげたい。でも医者でもない私にできることは何もない。
お茶断ち……何かを成就させたり、願い事をかなえるために、一番好きな物を我慢する、あれだ。
私も一番好きなものを絶とうと思う。貴女断ちをします。神様を信じてないヤツが、最後に頼るのが神頼みっていうのも笑える。
願うなら55歳のしょぼくれたおやじが、貴女を好きになったことを笑わないでほしい。この歳になって人を好きになれることを教えてくれた貴女に心から感謝します。
ありがとう。そしてさようなら。
理絵さんへ
三田
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ちっともハードボイルドじゃないじゃん!
読み終わって、私は手紙にツッコんじゃいました。
哀しいよ、三田さん。哀しいのは、あなたです。
切ないよ、三田さん。切ないのは、あなたです。
手紙を読んでしまったことを後悔する気持ちになり、ひどく落ち込んだのですが、しばらくたって考え直しました。
三田さん、神様はいますよ。だってそうじゃないですか。2週間前に三田さんが理絵さんに渡そうとしてどこかに落とした手紙は、誰に読まれることもなく、ゴミとして捨てられることもなく、雨に濡れながら私の自転車のカゴに入ってたんですよ。奇跡ですよ、これは!
三田さんが理絵さん断ちまでして願ったことは、きっと叶う気がします。奥様の病気、必ず治りますよ。私の勘、すっごく当たるんです。このあいだも勘だけで万馬券当てたし。
この手紙、明日、理絵さんに間違いなく渡します。渡したところで、何も変わらないかもしれません。でも、三田さんの気持ちはちゃんと伝えてあげたいと思ったのです。
さっきお店で誰かが歌っていたさだまさしの『償い』のメロディが耳元で流れはじめました。
♪人間って哀しいね。だってみんなやさしい
それが傷つけ合って、かばい合って
何だか貰い泣きの涙が止まらなくて止まらなくて止まらなくて
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