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2006年5月 8日 (月)

第十二幕 キャッチボール

「よくここで飲んでるのか?」

「週に1回くらいかな」

「結構なご身分だよな。勝手に家出ていって、こんなシャレた店で酒飲んでりゃ。一人暮らし満喫ってやつだ」

 中村さんは苦笑いしながら、水割りを半分ほど空け、反論するかわりに質問した。

「なんで大学に行かなかったんだ?」

「あんたがちゃんとお金、家に入れなかったからだよ。そりゃそうだ。毎晩外で酒飲んでりゃ、お金もかかるはずだ」

「かあさんがそういったのか?」

「嫌というほど愚痴、聞かされたよ。貧乏より何より、毎晩その愚痴で、オレまでノイローゼになりそうだった」

 こういう店に一人でお酒を飲みにいらっしゃる男の人は、みんな間違いなくそれぞれの“事情”を抱えている。どんなに奥さんの自慢話をしようとも、幸せそうな家族の写真を見せられても、お金持ちそうに見えても、他人にはわからない悩みを背負っているものだ。

 その悩みという荷物が大きいのか小さいのか、どのくらい重いのか、それは私にはわからないことだけれど、その荷物は明日もあさっても、生きていく限り背負っていかなければならない。だから、ときどき荷物を背中から下ろして、ちょっとだけ休憩したくなる。この店がそういう男の人たちの休息の場になれればいいのだけれど。

 中村さんは理由があって、数年前から家を出てるらしい。一人暮らしだと聞いている。

 さっきから中村さんにつっかかっているのは、中村さんの息子さん、たしか卓也君といった。今どきの若者だから当然ながら髪の毛は茶色いし、ピアスをしている。卓也君が高校を卒業したから、今夜久しぶりに出会い、お祝いの食事をしてこの店に寄ってくださった。

「ま、いいから飲め!」

「いつだってそう。オレ、まだ18歳だぜ。未成年は酒飲んじゃいけないんだ、この国では。フツーの親なら酒飲んでたら怒るっしょ。あんたはいつもそうやって、いい親のふりをする。中学生のときだって、法事の席であんたオレにビール飲ませたよな。あんたの兄貴だって調子こいて飲め飲めってすすめて、あの人も変だよ」

「あんたの兄貴っていい方はないだろ。おじさんだろ。兄貴は死んだんだ。父さんのことはいいけど、死んでいる人を悪くいうのはやめようや。あのとき、お前も調子に乗ってへろへろに酔っぱらって、ハハハハハ、思い出した。学生服脱ぎはじめて、パンツ一丁になって酔いつぶれちゃったんだよ。兄貴と一緒にお前のパンツ下ろしたら、まだ包茎だった。あのあと家出ちゃったから、ずっと気になってたんだけど、包茎直ったか。包茎は直しとけよ。包茎手術に金が必要なら出すぞ」

「包茎」を連呼されて、卓也君は顔を赤くした。生意気だけど、まだ18歳。その話題は無視して、私に話しかける。

「ママさん」

「理絵と申します。お父さんにはいつもお世話になっています」

「理絵さんも、未成年がこの店で酒飲んでちゃ立場的に悪いよね」

「私どもは守秘義務がございますから」

「守秘義務って医者とか弁護士とか偉い人が使うんじゃないの?」

 あまり理屈っぽい話はこういう席にそぐわない。だから矛先をちょっとだけ変えてみる。

「中村さん、聞いてくださいよ。頭来ちゃうんです。このビルの前にいつも止まっているタクシーの運転手がね、『ツインズのママはいつも違う男に送ってもらう』『鼻毛の手入れをしていた』とか『このあいだ、車の中で眠っちゃって、いくら起こしても起きないから、交番へ連れていった』とか、あることないこと言い触らしてるみたいなのよ」

「タクシーで落ちたのはホントじゃないか。」

「落ちたのは事実です。私だって反省してるけど、嫁入り前の娘がガーガーいびきかいて眠っていたなんてカッコ悪いじゃないですか?」

「いびきかいてたんだ」

 語るに落ちた。

「あの、それからすごくいいにくいんだけど、『嫁入り前』という表現はぎりぎりセーフにしても、『娘』はアウトだろ」

 私は中村さんの鋭い指摘を無視して、話を続ける。

「このあいだもお客さんに『お前、すごいいびきらしいね』っていわれちゃったわ。あの運転手、乗せる客乗せる客にいってるのよ、きっと。でもタクシーって仕事にも守秘義務があるんじゃないですか? 流しのタクシーじゃないし、私だって常連客なんだから、黙っているというか、見てみないふりというか、それが当たり前じゃないですか」

「守秘義務っていうかどうかわからないけど、客商売のルールだよね。仁義ともいうのかな。武士の情けかな」

 中村さんが同意してくれる。

「そうですよね、義理と人情が廃れりゃこの世は闇……ですよね。で、話が長くなっちゃったけど、卓也君、飲んでるその液体は、いやいや飲まされてるの? 違うよね。その液体を飲むことで卓也君はだれかに迷惑かけてますか? かけてませんよね。それならいいじゃないですか、飲んじゃってください」

 卓也君があきれた顔をしている。隣から双子の姉の真紀ちゃんがフォローしてくれる。

「マナーを守って明るい日本。マナーはとても大切です。だけど、私はマナーよりマネーをとっても大切にしています」

 それを受けて、私が続ける。 

「他人に迷惑かけなければ法律なんかどうでもいいんですよ。守らなくっちゃいけないのは法律じゃなくて、人としてのルールです。欠かしちゃならないのは浮世の義理です」

「メチャクチャな論理展開……」

 卓也君は納得いかない顔をして、

「でも、オレ未成年だから」

「私、耳、にっちょーび~(日曜日)。最近、更年期障害かしら。ときどき聞こえなくなっちゃうんです」

 中村さんはにやにやしながら、私のヘ理屈を聞いている。

「中村さんは、たしか娘さんもいらっしゃいましたよね」

 私が質問すると、中村さんは待ってましたとばかりに語りはじめた。

「いるよ。今年成人式だった。娘が生まれたときは、そりゃ感動したな。だってそうだろう、1回1~2億のオタマジャクシ、それまでに何百回無駄撃ちをしているか、1兆近くものオタマジャクシが討ち死にしてるんだぜ。天文学的確率で選ばれたのがこの子なんだと考えたら、感動するしかない。五体満足なのを確認して、オレにそっくりなので思わず笑っちゃった。安心したけど、同時に将来、顔で苦労しそうだなって思ったらしみじみしてきて、でも可愛くて可愛くて、なぜか唐突に娘の結婚披露宴のシーンが浮かんできたんだ。生まれたばかりの娘がなぜかウェディングドレス着てて、ああこいつも男に略奪されるんだ、と思うと悲しくて涙が止まらなかった」

「その点、卓也君は男の子だから……」

「別にどうしても男の子が欲しかったわけじゃないけど、こいつが生まれたときはやっぱりうれしかった。最初に頭に浮かんだシーンは、こいつとキャッチボールをしてるところでさ、こいつの5歳の誕生日に、グローブ買った。グローブってさ、普通は茶色なんだけど、わざわざ青いの買った。1万5千円。あのころの1万5千円ってきつかったな。こいつセンス良くってさ、リトルリーグにでも入れて、ひょっとしたら甲子園でも、そのあとプロ野球選手になって何億という契約金もらえるかもってスケベなこと考えてたら、Jリーグがはじまってさ、こいつはサッカーに夢中になっちゃったんだ」

「息子さんとキャッチボールやって、今日は一緒に酒飲めて、お父さんとしては男親冥利につきますね」

 私がそういうと笑顔でうなずき、中村さんは卓也君の肩に手を置いた。

「小学4年になったら、こいつ、吹奏学部に入ってトランペットはじめたんだ。最初のころは学校のトランペットを毎日借りてきて練習してたんだけど、そのうち自分のトランペットが欲しいっていいだして」

「買ってあげたんでしょ。音楽の道に進んで、プロになったらガッポリ稼いでくれるとか思いながら」

「オレだって学習能力あるからさ。それにオレのガキなんだぜ。そんな才能はないだろ。そのころ、オレ、大のヤクルトスワローズ・ファンでさ、もしトランペットがうまくならなくても、神宮球場でこいつの吹くトランペットに合わせて、傘をふりまわしながら『踊り踊るなら』なんて歌えれば、それでいいかななんて納得してさ、トランペット買った。さすが貧乏だったから新品は買えなくて、中古を買った。それでも3万円したかな。でも半年も経たないうちに顧問の先生が気に入らないとかでやめちゃったよな」

 卓也君は肩に置かれたお父さんの手を邪険に払いのけ、憎々しげにいい放った。

「オレにいっぱい愛情かけたといいたいわけだ。自分の趣味押しつけといて、それが愛情だと信じてるんだ。親なんて身勝手だよな」

 なんで中村さんは怒らないのだろう。ガツンっていってやればいいのに……。

 私がこれだけ頭に来ているということは、真紀ちゃんは切れかかっているはずだと、姉の顔を見る。そして腕時計で時間を確かめる。まだ9時半だ。水商売10年のベテランは、このくらいのことで平常心をなくしはしない。ただし、あと2時間経つと責任は負えない。年のせいか、酔っぱらってくると真紀ちゃんの頭の配線がこんがらがるのだ。すると、ただの酔っぱらいに変身し、こんな状況に遭遇するとガンガンからむよ。一卵生双生児だから確信を持っていうよ。知らないよ、卓也君。

「難しい話はわかんないんだけどさ」

 隣に座っている橋本さんが話に割り込んできた。

「卓也君、オレね、酒グセ悪いのよ。この店で勘定払うまでは結構しっかりしてるんだけどさ、そのあと記憶が途切れ途切れになっちゃう」

 中村さんと橋本さんはこの店の常連で顔見知りでも、卓也君にとっては赤の他人、思い切り、「ウザイ」

 って顔をした。

「オレ、いつもタチの悪い酔っぱらいなわけよ。その日は店の前でさ、3人連れのサラリーマンのネクタイにからんでたわけさ。

『なんだ? ジバンシー? チンパンジーの親戚か? こっちはチャンネル? ヘルメス? 性病か? 日本人なら西陣織だろ!』

 そしたらこの人が通りかかってさ。この人ってのはあんたの父ちゃん、わかる? この人突然その3人に土下座してさ、

『ウチの若いものが大変失礼なことをした。申しわけない申しわけない』

 って米ツキバッタみたいに謝ってた。この薄くなった頭、地面にすりつけるのを見てたら、いっぺんに酔いが覚めたなあ」

 橋本さんはかなり酔っていて、言葉がはっきりしないが、何となく理解できる。

「その次は、オレ、そこの公園でおやじ狩りにあってました。5人くらいの若者にボコボコにされてました。そこに飛んで来たのがこのおっさん。このおっさんってのはキミの父ちゃん」

 卓也君は橋本さんと目も合わせない。思い切り嫌な顔をする。

「このおっさん、いきなり、いきなりよ、一番強そうなヤツに飛び蹴りよ。隣のヤツにラリアート。倒れた若者にフライングバスター。しばらく孤軍奮闘も多勢に無勢でやられちゃいました。中村さんの前歯折れました。私のせいです」

 卓也君はお父さんの口もとを見る。たしかに前歯が一本ない。

「キミ、聞いてる? キミの父ちゃんとはこの店で会っただけ。いってみりゃ、オレとキミの父ちゃんは赤の他人。他人だけどだ~い好き!」

 そういうと橋本さんは中村さんの頬にブチュとキスをした。そしてカウンターに突っ伏すようにつぶれる。私は中村さんに頬をふくためのおしぼりを渡した。

「あの夜、橋本さんが店を出ていってすぐ『また暴れても困る。心配だから見てくる』って中村さん追っかけていって、しばらくして二人で帰ってきたら血まみれでしたね」

 中村さんは、体裁が悪いのだろう。下を向いている。

「ボクは子育てのことでカミさんと意見が合わなくて、中村さんに朝まで話聞いてもらったことあります」 

 後ろのボックスから話に入ってきたのは佐藤さん。卓也君があきれ返ったような顔をする。

「まだ小さな親切大きなお世話焼いてるんだ。理絵さん、この人ね、昔からそうなんです。先生でもないのに、近所の子供の面倒見るわけ」

「いいじゃない」

 私が中村さんに助け船を出すと、卓也君はムッとして反論した。

「よくないっすよ。同じマンションの同じ階にヤクザが住んでてさ、そこの子が姉貴と同じ学年の男の子で、毎週週末になるとその子誘って野球ですよ。おふくろが『ヘンな家の子と付き合わせないで』っていうのに可愛がってさ、親がヤクザでも子どもは関係ないとかいって」

「お前も楽しかったろ? あいつ、素直ないいヤツだったじゃん」

「でも中学生になったら、あんたの悪口いってたんだぞ。知ってるか?」

「ああ、タバコ吸ってるとこ、注意したからな。でも反抗期ってあんなものだろ?」

「なんて注意したか、覚えてるか。どうしてもタバコ吸いたいなら吸ってもいい。だけど大人の見てないところで吸え! 吸ってるとこ見たら、注意しないわけにはいかない。わけわかんないでしょ」

「よーく、わかる」

 ワオ~ッ! 真紀ちゃんが会話に入ってきた。時計を見ると頭がこんがらがるにはまだ早い。目も座っていない。

「私は10年以上この商売してきて、それこそ何千人って男見てきたけどね、卓也君のお父さん、超A級だよ。ホント、いい男。私、中村さんに口説かれたら落ちてもいいよ。でも口説かないんだよ、こんないい女を。だからダメなんだよな、中村さんは」

 そういう方向にもっていく? ちょっと違うんだけどな。

「さっきから聞いてりゃ、卓也君、キミのいってることのほうが全然わからないわ。それにしても、キミ、ちょっといい男だよね。年上の女性、嫌い?」

 そういうと真紀ちゃんは卓也君の右手を両手で強く握った。目が少女マンガの主人公になっている。何考えてるんだか、双子でもわかりましぇ~ん。真紀ちゃん、38歳の女が18歳の男の子誘惑したら犯罪だよ。卓也君は迷惑そうな顔をしながらもまんざらではなさそうである。

「卓也君は、お父さんが家を出ていって寂しかったのよね。よくテレビ番組、たとえば『金八先生』に出てくるグレてる子どもの父親ってさ、頑固で世間体ばかり気にして、自分の価値観おしつけてってパターンじゃない? でも中村さんはそういうお父さんじゃない。卓也君にとっていいお父さんだったんでしょ。そりゃ、寂しいわよね。キミ、小学6年までお父さんのひざに乗ってたらしいじゃない。今夜はオネーサンのひざに乗ってみる?」

 今夜の真紀ちゃんは酔っていないのに混線してる。卓也君は真紀ちゃんの手を無理やり離すと、中村さんに食ってかかった。

「そんなことまでしゃべってるのかよ!」

 奥のカウンターに座っていた田中さんが声をかけてきた。

「卓也、お前のことはみんな知ってるぞ」

 卓也君は、

「なんであんたがオレのことを呼び捨てにするんだよ」

 という顔をする。

「子どもたちをディズニーランドや遊園地へ連れていって帰る時間になると、娘はいつも『もっと遊ぶ~。もっとここにいたい~』って泣いてぐずる。こうなるといくらなだめても泣きやまないんだ娘は。ほとほと参っていると息子が『お父さん、今日は楽しかったね。また来ようね』ってさわやかな顔をしていってくれる。中村さんはオレにそういった。『卓也ははいいヤツだぞ』ってな」

 そうだよね。中村さんはこの店で、女の子を口説くわけでもなく、カラオケを歌うわけでもない。飲みながらいつも卓也君や娘さんのことを考えていたような気がする。ずっと心配していたんだ。酔ってグチるわけでもなくお子さんのことを話すことはめったにないのだけれど、頭の片隅にずっと娘さんや卓也君がいたんだ。

 今度は田中さんのとなりに座っている山田さんだ。

「卓也! ボクもいう」

 卓也君は山田さんを見て「また呼び捨てかい」と今度は声に出した。

「中村さん、あの話、しちゃいますね。誰にもしゃべるなっていわれてたけど……。ボク、大学時代バスケやってたから頼まれたんだ。卓也が高校でバスケやってる。シューズ買うから付き合えって。専門店へいって、これが履きやすいとか、NBAの誰々が使ってるヤツだからって説明してあげた。中村さんはアディダスとかナイキとかアシックスとか卓也の好きなメーカーわからないからって一番高いバッシューを選んだ。でそのあと、中村さん、固まっちゃうんだ。目がうつろになってさ。どうしたんですか? ってボクが聞いて返事もしないで、しばらく黙っていて、ポロッと『知らないんだ。卓也の足のサイズがわからないんだ』って……ショックだったんだな」

 中村さんが家を出たのはそういう時期だったんだ。心も体も、子どもから大人に大きく変貌していく一番大切なときに、中村さんは卓也君とちゃんと対峙していない。卓也君だってお父さんに頼ったり相談したいこともあったんだよね。  

「何だよッ、この店は! あんたもあんただよ、オレを丸め込むためにクサイ芝居させてさ。あんたの知り合いばかりじゃねぇかよ。何が卓也、卓也だよ。あんたらに名前呼び捨てにされるほど親しくねえよ。いいかげんやめてほしいな、こういう猿芝居」

 みんな、しばらく沈黙した。誰も卓也君に反論できなかったわけではない。誰もが反論したいのに、中村さんの立場を考えて黙っている。

「でも日光行ったとき見た猿軍団、おもしろかったわよ」

 真紀ちゃん、混線してるって。

「違うのよ。卓也君」

 今夜のお客さんたちは言い訳の下手な人ばかりだ。というより言い訳を潔しとしない、そんな人たちばかりが集まった。真紀ちゃんは混線してるから、しょうがないから私が弁明することにした。

「不思議だけどこういう店って、同じタイプの人が集まる日が多いのよ。やたら女を口説く客ばかりだとか、酒グセが悪い客ばかりだとか、カラオケ好きばかりとか……。だからさっきから今夜はどういう人が集まったのかって考えてたのよ。なんだか熱い人ばかり……悪い意味じゃないのよ。それがさっきわかったのよ。

 先週、中村さんがきたときにポロッと『来週の火曜日、息子と会うことになった。どんな顔して会えばいいのかな』と漏らしたの。『自信ないな』って。それを私がこの人たちにしゃべっちゃったのね。今夜、中村さんが卓也君とこの店に来るなんて、私だって知らなかったんだから。この人たちはね、橋本さんも佐藤さんも田中さんも山田さんも、中村さんが卓也君との再会がギクシャクして、この店に落ち込んでやってくると思って、心配してなぐさめようと思って集まってきてるのよ。このメンバーが一緒に集まることはあんまりないのに」

 真紀ちゃんが何かいいたそうだ。話があさってに行っちゃっても困るからあわてて言葉を続けた。

「中村さんが呼んだわけではないの。この店で知り合った人ばかりなのよ。お酒飲んでるからね、普段はまじめな話はしないし、くだらない冗談ばかりをいいあって、カラオケ歌ってその日のうさばらししてね、それぞれが好きな時間に別々に帰っていく。飲み屋ってそういう場所でしょ」

 私も少し混線して脱線している。何がいいたいのか自分でもわからなくなっている。

「私、今、気づいたの。ツインズが、私と真紀ちゃんがお客さん同士をつなげているんだと思ってたのは間違いだったって。今夜のお客さんをつなげているのは卓也君のお父さんなんだって。私たちが知らないあいだに、お客さん同士が、『できちゃって』た。だからなんだか熱かったのよ」

 いいたいことはちゃんと伝わったのだろうか。不安になって卓也君を見る。山田さんが一人でカラオケをセットして歌いはじめた。

  夕暮れの坂道を  大きな背中と歩く

  グローブを脱いだ左手 皮革のにおいがする

  どんなに加減しても あなたの球は速くて

  逃げ腰になるボクを茶化して永遠に微笑んだ

 「元気で暮らしているか?」と書かれた手紙受け取るたびに

  独りでこらえた涙たち 止まらなくなるよ

  ごめんねこの唇は嘘で誰かを傷つけるけど

  いつもの優しい瞳で僕を叱ってください

 「元気で暮らしているか?」と書かれた手紙越えてゆくため

  今度は「元気だよ」と強く返事を書くから

(『キャッチボール』平井賢)

 山田さん、ちょっとやりすぎ。私はこういうあざとい演出は好きじゃない。さっきからとんがってる卓也君にも逆効果だと思う。田中さんがカラオケの本で曲を選んでいる。お願いだから『おやじの海』なんか選曲しないでね。

「いいねいいね。ジーンとするね。中村さんと卓也君にぴったりね」

 真紀ちゃんが大げさにほめる。別に混線しているわけではない。こういう気まずい雰囲気になると私はそれが通りすぎるまでじっと待つけれど、真紀ちゃんはその雰囲気をかき消すように自分がピエロになる。双子の私にしかわからないと思うけど、真紀ちゃんあれでけっこう頭と気を使ってるんだ。

「おやじ、オレそろそろ帰る」

 卓也君が中村さんのことを「おやじ」というのをはじめて聞いた。卓也君の表情が変わっている。とげとげしさがなくなって、少年のような可愛い(といったら失礼かな)すがすがしい顔だ。

「真紀さん、理絵さん、それから日光猿軍団の皆さん、おやじをよろしくお願いします」

 違うって。猿軍団じゃないって。私の説明、全然伝わってないじゃない。

 卓也君は中村さんの耳元でボソボソっと小さな声で何かをいうと、手を挙げてあっというまに店を出ていった。

「若いっていいね。『若いという字は苦しい字に似てるわ』なんちゃって」

 真紀ちゃんが誰にいうでもなくつぶやく。スピーカーから『おやじの海』のイントロが流れる。私はため息をつく。田中さん、やっちゃったんだ。すかさず真紀ちゃんが、

「田中さん、空気、読める~」

 空気、読めてないよ、田中さんも真紀ちゃんも。ここはほめるところじゃないよ。ほらほら田中さん、張り切っちゃったよ。

 田中さんが「♪海はヨ~」とがなりはじめると、橋本さんがガバッと起きた。しばらくボーっとした後、隣の席に卓也君がいないことに気づく。

「卓也は?」

 さっき帰ったことを伝える。

「じゃあ、中村さんは?」

「愛しい中村さんはトイレですよ」

 私がそういうと、なんだか安心した顔をした。いつもならもう一度ここで落ちて、閉店まで

寝てしまうのだけど、なぜか今夜は復活した。

「オレも歌うぞ。理絵、『親父の一番長い日』入れて」

「酔ってるんだから、今日はやめておきなさいよ」

 この歌はとてもいい歌だけど、カツ舌が悪い人は歌えない。そのうえ橋本さんはべろんべ

ろんに酔っている。前回橋本さんは、この歌にチャレンジして、舌をかんで血を流していた。

途中で歌うのをやめて「おっかしいな。カラオケの調子が悪いな」とかいって機械のせいに

していた。今夜も同じだと思うけど……。

「ゼッタイ、歌う! オレはこの歌を歌いたいんだ」

 橋本さんは、中村さんのためにどうしても歌いたいらしい。お客さんの希望は満たしてあげないといけないから、逆らわずに曲を入れる。

 でもね、中村さんはみなさんにもう十二分に感謝しているんだよ。そして中村さんの背負っていた荷物は、今夜、確実に軽くなったと思う。

 卓也君が店を出ていってすぐに、中村さんの目が見る見る赤くなるのを、私は見逃していない。そしてあわててトイレに立った意味も。

 聞きづらかったけど、卓也君は帰る前に中村さんにこういったのだ。

「おやじ、グローブとトランペット、おれの宝物だから」

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